こんにちは! ナカヤンです!
ビジネスというか商売全般で、私が一番嫌いなのが「お客様は神様」という考え方です。
今回はそれについて、思うところを述べてみたいと思います。
【お客様は神様】なのか?
【お客様は神様】じゃないです
この言葉を誰が最初に言ったとか、本人はそのつもりじゃなかったとか、それはここではどうでもいいです。
問題は、「お客様は神様に等しいと思え。なので、なんでもお客様のいう通りにしろ」と一般的に受け取られているし、こうした考えが実践されてもいるということです。
その実態は、まるでご主人様と奴隷のような関係ではないでしょうか?
私はもともとホテルマンでした。
その仕事を辞めて整体師になり、そして今はWEBビジネスを手掛けている、という、一般的な観点から見たら変わり種な人間です。
ホテルマンもそうでしたし、学生時代は実家の苦しい家計を助けるために、コンビニのアルバイト(主に夜勤)を長くやっていました。

なので、改めて振り返ってみれば、コンビニからホテルマンを経て整体業まで、ずっと、いわゆる「客商売」をしてきたことになるかと思います。
整体業は技術職ではありますけど、一対一でクライアントさんと対応して施術するというのは、たぶんに客商売的な性格を帯びるものだと思います。
その意味ではお医者さんも客商売ですが、ハッキリいって、「整体師」という職業の社会的地位は高いとはいえません。
施術者の腕はよくても、利用する側は「お店」感覚で利用する場合も多いのです。
なので、やはりどうしても客商売的な性格から逃れることが難しい職業だと思います。
もちろん、客商売というもの自体を否定しているわけではありません。
お客さんにサービスするというのは素晴らしく価値のあることですし、また逆に、この世の中で客商売でないものは実はないんですよね。
「お客様」という形で存在するかは別として、常にそこには「サービスを提供する」側のあなたと、「サービスの利用者」であるユーザーさんがいるわけですから。
価値あるサービスを提供することで、ユーザーさんがそのサービスを受け取り、満足してもらって、そこに対価が発生するというのが、あらゆるビジネスの原理だと思うんですよね。
なので、ことさらに「客商売」というのもおかしくて、まあ、「接客商売」という分類の職業があるということであって、ビジネスは本来的にすべて「客商売」なのだと思います。
なので、客商売ってこと自体は問題ないと思うんですね。
問題は、ユーザーさんをいわゆる「お客様」として奉る必要があるのかということです。
私は、答えはノーだと思います。

サービスを提供する側も受け取る側も、対等なのが当たり前だと思うからです。決して、ご主人様と奴隷の関係であってはならないと私は思います。
【顧客=クライアント=友人】という発想
ちなみに、このような感覚は、英語文化では「フェアネス」と呼ばれる類のもので、英語文化に深く根差した感覚だと私は感じています。
そうした背景もあって、英語文化圏の人たちは、ことさらに「お客様」を奉ることはしません。
あるのは、ただ「プロフェッショナリズム」であり、いわゆる「ホスピタリティー・マインド」だけだと思います。
彼らにとっては、あくまでも「ギブ・アンド・テイク」で「イーブン(対等)」なのが、サービスの提供側と顧客側との関係だからです。
それで十分ではないでしょうか。
彼らは「お客様」におもねることはしませんが、そのかわり発達しているのが、いわゆる「フィードバック」システムだと思います。
つまり、ユーザーがそのサービスに満足したかどうかの評価をしてもらうわけです。

それによって、他のユーザーは自分の判断材料にできるわけで、極めて「フェア」なシステムだと私は感じます。
なので、顧客によいフィードバックをしてもらうためには、やはりプロフェッショナルな質の高いサービスを提供する、ということが必要になるわけです。
ひたすら「神様」の顔色を窺い、機嫌を損ねないように無理難題も聞いてあげる、という日本のサービスのあり方とは、根本的に構造が違うと私は感じます。
この「お客様論」について、私が感銘を受けたのは、『ハイパワー・マーケティング』(ジェイ・エイブラハム著/金森重樹監訳/モール・オブ・ティーヴィー発行)という本でした。
(↓↓↓今は新訳が出てるようです。値段もそっちが安いですね↓↓↓)
この本では、顧客を「カスタマー」でなく、「クライアント」と思え、と書いてあります。
そして、クライアントとは、「友人」である、と。
まさにそうだなと膝を打ちました。
顧客が「友人」であるとするならば、その人になにをしてあげるか。
できる限りのことをしてあげたくなりませんか?
当時、私は整体業からWEBビジネスに転身し始める直前くらいだったと思いますが、こういう考え方を導入しよう、と思ったんですね。

そしてそれは、WEBビジネスをしている今に至るも、変わっていません。クライアントは、自分の大切な友人だと思っています。
ちなみにこの本は、めっちゃ勉強になります。
日本型の「サービス提供側×顧客」という発想とはまるで違う、ビジネスの本質的な発想が書かれてると思います。
これから日本もこうなっていくだろうし(ならなければ停滞するだけだと思います。これまでの奴隷制のような提供側と顧客の関係では)、時代が変わっても変わらない、ビジネスの本質が語られていると思います。

「クライアント=友人」という、人間対人間の関係性(ご主人様と奴隷でなく)としてビジネスを語っているのがいい例だと思います。
顧客との関係が今のような奴隷制である限り、日本の成長は頭打ちだと私は思います。
ビジネスで、【価値の安売り】はしません
私個人の話になりますけど、私は価値の安売りはしない、という主義です。
相応の価値を提供するのであれば、相応の対価をもらうのが当然だと考えるからです。
整体時代も、私は他の整体院さんの倍近い料金をいただいていました。
よそで治らないものを治していましたし、実際にそれで満足していただいてきたので、そうしていました。
それでも、1回数万という法外な料金を取る先生方もいる中で、良心的な料金だったと自分ながら思います。
実際、「え? それだけでいいんですか?」といわれることもあったくらいですから。
提供するサービスというのは、たとえばあなたがあなたそのものをかけて習得したスキルを使ったものだったりするわけじゃないですか。

それを安売りする必要がどこにあるのかって私は思うわけです。
例えば、業界的に、整体業界は、すぐに安売りする方向に動いてしまいがちなように見受けられるんですよね。
私が最初に聞いたのは、「1分100円」という相場だったわけです。
でも、実際にはそれだけフルに受け取っている施術院は少数派だと思います。
特に昨今は、いわゆる「298(ニイキュッパ)」などと業界で呼ばれる、廉価なリラクゼーション系のお店が多く出てきたので、太刀打ちできない、とばかりに、料金を下げる傾向があるように見受けられます。
これやってると、どんどん値下げ競争になっていって、業界そのものが衰退、あるいは壊滅しかねないことは火を見るよりも明らかだと思います。
なので、安易に値下げに走るのでなく、よくいわれることですが、サービスに付加価値をつけていく、もしくはサービスの質をあげていく、その上で、相応の対価をもらう方法を、常に忘れちゃいけないのではないかと私は思うわけです。

といっても、これがむずかしいのは私も体験済みです。
というのも、日本人という人種は、価値に対してお金を払わないところがあるからだと私は個人的に思っています。
なので、一対一で「お客様」を施術する整体という仕事に見切りをつけて、今はWEBビジネスな私なわけですけども。^^;

あ、あと、一時的に価格を下げるとか、価値を下げずに、例えば細分化して利用しやすい価格設定にするとかっていうのは、戦略的に大いにアリだと思います。
【奴隷】じゃなくて、【人間】としてサービスしたいのです
【誰かが誰かの奴隷になる】社会は、間違ってると思う
お客様は神様のなにが一番嫌いかといいますと、お客様にたいして「奴隷」にならなきゃいけないことですよ。
いや、その考え方が不健全なのだ、奴隷なんかではない、という意見もあるかもしれませんが、実際に現場を見てみればわかるでしょう。
神様もしくはご主人様であるお客様にたいして、まさに奴隷そのものなのがサービスマン・サービスウーマンじゃないでしょうか。
それが、コンビニ・バイトやホテルマンを経験した私の実感です。

最近よく取りざたされるクレーマーの多さも、そのことを物語っていると思います。
あまりのクレーマーの多さに精神的に病んでしまう人もいるようですが、こうなると、「お客様は神様」思考はまさに異常だし、害悪以外の何物でもないと私は思います。
人間が誰かの奴隷になっていいはずがない、って私は思うわけです。
世の中には、プレイで誰かの奴隷になるのが好きな人たちもいます。
それは、自分たちが選んでいるし、それが喜びになるわけですから、それでいいわけです。
ただ、奴隷になるつもりなどない人間も含めて、すべからく誰かが誰かの奴隷にならないと機能しない社会というのは、その存在自体が不健全だし、それでは機能しなくなって当然だと私は思います。

その末路も、推して知るべきでしょう。
価値あるサービスは、【価値がわかる人】に提供してこそ収益になる
私が思うには、やはり価値あるサービスならば、それにふさわしい人に提供し、受け取ってもらうのが筋だと思います。
なにがなんでも万人受けするようなサービスでは、サービス自体の価値が下がってしまうことも大いにあり得ると思います。
例えば私がやっていた整体などでも、高額なセミナーがあったりもします。
これは、WEBビジネスでも同じことです。

高額セミナー自体が悪者みたいな風潮もありますが、それはどうでしょう?
問題は、価格に対して価値がない場合であって、価値ある内容であれば、高額であっても構わないと私は思います。
1,000万のセミナーであっても、2,000万稼げる内容ならば、元もとれるし利益も出るわけですよね。
自分が腕によりをかけて、先の話のように「友人」であるクライアントに提供するサービスであれば、自信をもって、堂々と、それにふさわしい対価をもらうべきだと私は思います。
価値がわからない人にサービスを提供しても、労力が無駄になるばかりです。
つまりは、ロスです。
ビジネスにおいては、「ロス」は最も避けねばならないものだと思います。
そんなヒマがあるなら、サービスにふさわしい人たちに提供する努力をすることだと思います。

それは、あなたの価値あるサービスを求めている人たちへの、当然の義務でもあると私は思います。
【庶民の味】もビジネス
私はここで、綺麗事だけ述べるつもりはありません。
常に最高品質のサービスを提供しなければならないなどとは思いません。
どういうことかというと、上で述べたように、品質の高いサービスは受け取れない人たちもいるのです。
例えば、玄人を唸らせるような料理を提供するのもアリですが、いわゆる庶民の味を提供するのもまたアリだということです。
WEBビジネスにおいて、玄人でなく、あまりものを知らない素人の人たちをターゲットにするのも大いにアリだと思います。
素人を騙すのでなく、素人の人たちに喜んでもらえるサービスを提供し、対価をいただくわけです。
それなら大いにアリだな、と私は思います。
いわば、懐石料理を出すものいいし、アジの開きもまたよし、ということ。
ただし、同じターゲットに出すのは間違いだと思います。
以上、なにかの参考になれば幸いです。

ともにがんばりましょう!
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